生きる地域都市

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*長く愛されつかい続けられる建築を「生きる建築」と考えています。
ブログ本「生きる建築」
http://www.nonose.jp/about/photo/1333164689t0-file5.pdf


目次
【生きる建築をつくるポイント1.大震災に強い建築にする。】
【生きる建築をつくるポイント2.永続的に魅力のある「いき」の建築にする。】
【生きる建築をつくるポイント3.永続的に機能が保たれる建築にする。】
    

〈生きる建築をつくります。株式会社野々瀬建築都市設計事務所http://www.nonose.jp/

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生きる地域都市
最近、地域都市の中心市街地では1960年代頃に建てられた鉄筋コンクリート造の建物の解体撤去が増えている。使い道が無くなったことや遺産相続なども絡んでいるのだろうか。背景には人が減り、不用になった建物が続出してきていることがあるのだろう。
跡地は例外なくコインパーキングになる。すると駐車場不足に喘いでいたので結構繁盛している。過密気味であった中心市街地にゆとりが生じてきている。これをまちが枯れていっていると言う人もいるが、案外悪いことばかりではないようにおもう。
残った商店や住宅で人がゆったりとした生活を続けることができればいいとおもう。
コインパークが不採算になれば、次には家庭菜園のような畑地になってゆくのだろう。
都市農が増えていくように思う。
城下町のような歴史のあるまちで、安土桃山時代頃から現代までの歴史が刻まれた建物が集まっている地域都市での暮らしは奥深く結構面白いところがある。それは、郊外の新興住宅街や再開発巨大施設には望めない底の深い魅力である。

旧い建物を壊すのではなくて、耐震リニューアルして生きる建築にすれば、数十年延命する。延命を繰り返し100年以上大切に使い続けることが、文化と環境と経済の安定に繋がるとおもう。
最近中心市街地も地価が大幅に下がっているので、郊外に土地を求め新築することと同程度のコストで中心市街地の旧い建物を購入して耐震リニューアルできるようになってきている。(郊外の自然環境の良いところは別宅が適している。ロシアや東ヨーロッパなどの国では、郊外に農地付きの別宅を構えていることが多いと聞きます。週末は別宅での暮らしを楽しむ。経済動乱のときは別宅で生産した農作物で随分役立ったと聞きます。このような生活スタイルはこれからの日本の地域都市では増えるように思います。)
中心市街地は都市的基盤整備が整っているので、生活面で郊外にない魅力がある。
このようにして、
生きる建築が集まってできる生きる地域都市が、これからの都市のありようの一つだとおもう。

  
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屋根飾り瓦

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*長く愛されつかい続けられる建築を「生きる建築」と考えています。
【生きる建築をつくるポイント1.大震災に強い建築にする。】
南海地震対策の第一歩 http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120215
大震災から身を守るために耐震診断・耐震補強 http://www.nonose.jp/about/item.cgi?Id=4
建築材料の放射能検査で被爆から子供たちを守る・・・ http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120305
地震予測情報の購入について http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120127

【生きる建築をつくるポイント2.永続的に魅力のある「いき」の建築にする。】
記憶された家 http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120228
「別宅」づくりのお奨め http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120309
行方不明の時間 http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120310
【生きる建築をつくるポイント3.永続的に機能が保たれる建築にする。】
生きる建築のために、家の補修をDIYで http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120129                   

〈生きる建築をつくります。株式会社野々瀬建築都市設計事務所http://www.nonose.jp/

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*屋根飾り瓦

大工さんが建てられた築40年の家の全面改修をしています。
東隣に新築した別宅の屋根が改修している母屋の屋根よりも高いのは良くないということで、
2階屋根の棟瓦の上に飾り瓦を載せる案を検討することになりました。
飾り瓦は鯱が一般的ですが、龍とか蛇などもあります。縁起物なのですね。
私はこのような縁起物を家に加えるのも大切で楽しい家造りの一つだと思っています。
私が追求する「生き続ける建築づくり」では、環境的サスティナブル計画や技術だけで「生き続ける」ことを捉えるのではなくて、縁起物の屋根飾り瓦などの伝承習俗を継承することも大切にしたいと考えています。

端正で美しいモダニズムデザインだけでは人の生活、心を受け止める建築にはならないと考えています。


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セシウムによる心停止による突然死

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【生きる建築のポイント1.大震災に強い建築にする。】
南海地震対策の第一歩 http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120215
大震災から身を守るために耐震診断・耐震補強 http://www.nonose.jp/about/item.cgi?Id=4
建築材料の放射能検査で被爆から子供たちを守る・・・ http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120305
地震予測情報の購入について http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120127

【生きる建築をつくるポイント2.永続的に魅力のある「いき」の建築にする。】
記憶された家 http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120228
「別宅」づくりのお奨め http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120309
行方不明の時間 http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120310
【生きる建築をつくるポイント3.永続的に機能が保たれる建築にする。】
生きる建築のために、家の補修をDIYで http://d.hatena.ne.jp/nonosef/20120129                   

〈生きる建築をつくります。株式会社野々瀬建築都市設計事務所http://www.nonose.jp/

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セシウムによる心停止による突然死
本日、下記二つの情報を得ました。
福島原発災害による被害が進んでいるようです。
福島だけではなく、東北、北関東、東京も危険なところがあるようです。
西日本、徳島はどうでしょう。食物や瓦礫処理を通じて放射線汚染に晒される可能性を否定できないように思われます。
この怖ろしい事態にどのように対処していけばいいのでしょうか。
まずは、一人一人が正確な情報を得て、放射能汚染被害から自ら身を守ることからはじめるしかないとおもいます。
情報には楽観的なものと深刻な絶望的なものと両方あるとおもいます。楽観も絶望も事態の物理的作用からみると同じです。ですから、楽観も絶望もせずに、淡々と可能な限り放射能から身を離しつづけることが生きることに繋がると思います。

茨城のり子さんの詩集、「椅りかからず」の中の「ある一行」からの一節をご紹介します。
<絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい>
絶望といい希望といってもたかが知れている
うつろなることでは二つともに同じ
そんなものに足をとられず
淡々と生きて行け!

※【二つの情報】
1.福島の警戒区域入った女性が死亡
 20日午前11時ごろ、東京電力福島第1原発事故の警戒区域に指定されている福島県浪江町で、重機を区域外に持ち出すために許可を受けて入域していた50代の女性が倒れたと119番があった。女性は救急車で同県南相馬市の病院に搬送されたが、午後1時に死亡が確認された。

 政府の原子力災害現地対策本部によると、原発作業員を除けば、警戒区域に立ち入った人が死亡するのは初めて。

 同本部によると、女性は同僚数人と事業者向けの立ち入り許可を受けて入域。急に「気分が悪い」と訴えてトイレに入り意識を失ったという。(共同)


2.…いま始めないでどうする…
バンダジェフスキー博士 院内講演会 :: 2012/03/19(Mon)

ユーリ・バンダジェフスキー(1957年1月9日−): 医師・病理解剖学者。ゴメリ医科大学初代学長。
チェルノブイリ原発事故の影響を調べるために、被曝した人体や動物の病理解剖を行い、体内臓器のセシウム137などの放射性同位元素を測定する研究を行った。 1999年、ベラルーシ政府当局により、ゴメリ医科大学の受験者の家族から賄賂を受け取った容疑で逮捕・拘留されたが政治的意図による冤罪だとして、海外の多くの人権保護団体がベラルーシ政府に抗議した。バンダジェフスキーの投獄に対する国際世論の高まりに押される形で、刑期途中の2005年8月5日に釈放されたが、5か月間はベラルーシから退去することを禁じられた。現在、ベラルーシを国外追放となり、ウクライナキエフ州のイヴァンキブ(Ivankiv)中央病院に勤務している。

みなさま

この事故を小さな事故と思ってはいけない。世界にとっても大変だが日本は特に大変だ。

かつてゴメリの医科大(彼は元学長)に日本人の研究者たちが来たことあり、セシウムが心臓にとって危険であるということに深い理解を示していた。でもその経験が活かされていないのが理解できない。

何も見えず情報もない状態では何もできないと思う。ウクライナベラルーシ・ロシアの各地域で「黙っている」政策が事態を悪化させ悲惨な状況になっている。日本は我々の経験をもう一度繰り返そうとしているように見える。

放射性物質の汚染源を早く廃棄しなければならない。日本全国にばら撒く必要はない。

「黙っている」という政策はかつてのソ連邦共産政権ならまだしも、21世紀文明社会の日本でこういうことが起きるのが理解できない。

新しい食品の基準値をどう評価するか→食品に放射性物質が含まれていることじたいが、非常に危険である。ベクレル数を下げるのは肯定的な動きではあるが、4月からの新しい基準はベラルーシでもここ13年ぐらい使われている基準であり、この基準のおかげで住民が放射性物質取り続けてしまっている。食品を食すると放射性物質を体にとりこんでしまい、様々なシステムに影響を与える。それは外部被ばくより数段深刻で、非常に危険だ。

必要なのはクリーンな食品とクリーンな土地である。どんな放射性物質であれ、それをとりこむと言うことは本当に体にとって危険だ。牛乳は100Bqならいいということになっているが、99BqはOKで101Bqはだめなのか?何が基準なのか?つまり基準というのはあくまで運用的なもので、放射性物質の含まれた食品は実際すべて危険なもの。人々は放射性物質のない食品を受け取る必要がある。

高い濃度で汚染されている地域は福島だけでないと聞いている。東京でもあちこちでセシウムが観測されていると聞いている。人々は汚染されている地域からきれいな土地に引っ越すべきだと思う。

人々の健康を守るという対策においては国が役割を果たすべきだ。今起こっていることに対してしっかりと責任を果たし人々の健康を守るべき。それが政治の責任である。

長い間汚染地域に住む人達が新たな放射性核種を摂りこむとなるとさらに危険である。 最も危険なのは食品を通して体の中の臓器にとりこまれることだ。

子どもは10-30Bq/kgで60%に心電図異常が起きる。Bq数が上がると心臓の動悸の悪い子どもが増える。ベラルーシにはそういう子どもがたくさんいる。だから死んでいるのだ。70-100Bq/kgで、突然死のリスクグループに入る。

福島などで若い高校生が突然死している事例がある。知人の知人も突然死した。亡くなった方の臓器のセシウムを測定することには意味があるとお考えか?
→解剖すればセシウムは出てくるとは思うが、亡くなってしまった方はどうすることもできないのが残念だ。生きている方々を検査することが重要。かならず体内のセシウム濃度を調べる必要がある。そうすればリスクグループ(突然死に繋がるグループ)を把握できる。

環境中にセシウムが高い濃度で存在すると突然死の可能性がある。セシウムは特に心臓に対して激しく攻撃を加える。心筋細胞に蓄積し、代謝機能が失われ、エネルギー産出ができなくなる。心拍が乱れる。心停止する。突然死する場合の濃度に決められたものはない。僅か20-30Bq/kgでも心拍異常が出てきている。それが突然死の原因になりうる。子どもも大人も全員の線量調査を。

残念ながら皆様のところには情報が少ない。情報をこのまま隠しつければ日本人という国民はわずかになる。
http://chiko123.blog.fc2.com/blog-entry-446.html

行方不明の時間

行方不明の時間

人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです

からはじまる心にしみる詩を読みました。茨木のり子さんの詩集「倚りかからず」の中でみつけました。

わたしも、仕事以外の時はときどき行方不明でいるようにしてきました。
どこにもいない自分になって、昼寝したり、ボーとしたり、詩を読んだり・・・過ごします。
行方不明でいることの解放感、じぶんのこころの声に純粋に耳を傾けていられる自由感・・が好きなのです。

「別宅」は行方不明の時間を過ごすところの一つのように思います。

「別宅」づくりのお奨め

「別宅」づくりのお奨め

ここ数年、
・隣地の建物を買われて別宅に改修するプロジェクト
・新築する建物の最上階に長年集められた美術骨董を飾る別宅をつくるプロジェクト。
・ゴルフの練習のための別宅をつくるプロジェクト。
・音楽に浸ることを楽しむ別宅プロジェクト。
・ちょっと昼寝をしたり本を読むための別宅プロジェクト。
など・・・別宅プロジェクトが増えてきていますので、「別宅」とはなにか?について、
私なりに少し考えて
■「別宅」づくりのお奨めと題して書いてみました。
http://www.nonose.jp/about/photo/1331288227t0-file2.pdf
ABOUT USの「専用住宅・集合住宅」にPDFで掲載しました。

別宅での過ごし方は、お独りでも、ご夫婦でも、家族でも、友人たちでも、
過ごしかたはいろいろだと思います。
ただ、
本宅とは違う、開放空間、遊びの場として過ごす場とすることは暗黙のルールとされているようです。

放射能検査で被爆から子供たちを守る

【生きる建築のポイント?大震災に強い】南海大震災から守るhttp://www.nonose.jp/about/item.cgi?Id=4

放射能検査で被爆から子供たちを守る・・・
 健康に害を与える室内環境汚染対策は日本でもかなり進んできました。
今では、幼稚園、保育所、学校などの施設の新築時には室内空気中の化学物質の濃度(シックハウス)を測定し、安全を確認することになっています。
ここまでくるのに十数年以上の年月が日本ではかかりました。ドイツなどでは早い時点で対策が進められていました。日本は健康、安全対策がドイツなどに比べて少なくとも十数年は遅いと思います。その間、シックハウスに敏感な方など多くの方がアトピーなどの健康被害にあわれました。
今、ドイツなどの医師、科学者などから福島原発災害における日本の放射能被爆対策での被爆危険性の指摘が出されています。
しかし、日本では室内環境汚染対策進行の歴史から推定しますと十数年かけてゆっくりと対策を本格化する可能性があります。
その間に被爆が進行すると子供の命と健康に取り返しがつかないことが危惧されます。もちろん大人も影響が出ます。

リスク管理としては推定される危険は避けたほうがいいと思います。
本日、
放射能健康相談.com 診察室より No.1http://www.houshanousoudan.com/extra/no1
を読みました。
「首都圏で放射能の被曝を心配され、来院した60名以上を診断しました。そして血液検査の結果が出ました。」から始まり、
「東京近郊の高汚染地域に住み続ける子供たちから、将来健康被害が高率に出る事を心配しています。
親に意見を求められた時には、避難を進めています。」で終わる報告書です。
医師グループによるリアルな福島放射能汚染による子供達への影響の報告のようです。
日本人の放射能被爆による健康被害が心配になってきたようです。

私たちが1980年代後半から徳島杉と漆喰などをつかった家造りに積極的に取り組みました一つの理由として、シックハウス症候群対策として、
家を自然材料でつくろうと考えたからでした。
これからは、放射能被爆を避けるために「放射能汚染されてない建築材料」をつかうことに取り組みます。
調べますと徳島では放射能検査を「徳島県薬剤師会検査センター」がはじめています。私たちも化学物質の濃度測定を依頼しているところです。疑問のある建材については施主のご理解を得て測定することにします。
http://www.tokuyaku.or.jp/tokuyaku/kensa/foushasen.html 検査費は1万円〜となっています。

記憶された家

記憶された家

散文詩「記憶のつくられかた」のあとがきで作者の長田弘は次のように述べています。
「記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌になってきたものが記憶だ。
記憶という土の中に種子を播いて、季節のなかで手をかけてそだてることができなければ、言葉はなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生と呼ばれるものだと思う。」
含蓄のある言葉です。
物を所有しても、こころのなかに入るときは、記憶される言葉となってからとおもいます。
心には、物を所有しているか、していないかは関係ないようにおもいます。

私には12歳まで住んだ家の記憶、それから18歳まで住んだ家の記憶が鮮明にあります。
じぶんの記憶の中にある家のことを、言葉にすることを試みようと思い始めています。
「記憶された家」を言葉にすることは、こころの家、シェルターを築くことのようにおもいます。
その「記憶された家」の中に、現在住んでいる家も言葉としていれようと思います。
「記憶された家」をこころの中で言葉で建てることは、こころをつよくしてくれそうにおもいます。
こころの免疫力をたかめるようにおもいます。